文化祭が終わり

149th文化祭そして僕の文化祭生活が終了した。

 

今年は最初から最後まで、コロナ禍との戦いだった。先行・第一次参説は終えた段階での突然の休校突入。運動会が生徒に何の連絡も無く中止判断になった憤りも相まり、"如何にして開催するか"という事を全ての軸にして活動してきた1年間だった。

というのも、このコロナ禍において "やらない" という選択肢を取るのは簡単な話である。また感染対策を無視してテキトーに開催するのもまた簡単な話だ。ただ、どちらにしても今や後世の後輩から見てどう思うだろうか。また彼らに対し俺らはやったぞと胸を張って言えるだろうか。未来のことを考えたときにどんな形であれリアル開催をしなければならない。ただそれと同じくらい、絶対感染者を文化祭で出してはならない、と決意した。なんなら日本で初のリアル文化祭を行い、全国の中高の希望の星になることが、仮にも日本一の中高の肩書きがあり日本一の来場者数を誇る開成祭の使命であると思ったのである。自信過剰かもしれないが、それくらいの決意で無いとここまで走ってこれなかったと思う。

 

6月7月は、続々と発表される各業種へのガイドラインや研究結果との睨めっこであった。どこまで厳格な体制を敷けば文化祭が社会的に認めてもらえるか、また感染者を絶対に出さないことが可能であるか。また逆に、参団の企画が目一杯行えるようにするためにどこまで緩和できるか。どちらに傾きすぎてもいけないので、とにかく読み漁った。

そして出た結論が、参団に課した感染対策5箇条

・人と人との距離を1.5m離す

・30分に一回10分以上の換気を行う

・空気の通りが悪い場所を作らない(サーキュレーターを多用)

・部屋の中の物に触れさせないor消毒を徹底

・1部屋あたりの参団員は8人以下

である。これは一般のガイドラインと比べたらめちゃくちゃ厳しい。例えば飲食店であっても距離は1mあれば問題ないとされているし、換気も60分に一回5分程度が一般的だ。これなら出来る限り感染を抑えられる自信があったし、何よりこれだけやってるんだというアピールにもなる。ただ、これでは成立しない企画もそれなりに多いこともあったので、逃げ道を作った。追加の感染対策を行う事により感染リスクが増えなければOKというルールだ。これに関しては厳格に行うべきと言う指摘もあった。ただ、これだけ業種別にガイドラインが区切られている中、これだけ多種多様な参団を1つの規定で全ての企画を統制するのは無理があると思ったし、それぞれに対して作るのもそれはそれで馬鹿らしいのでこれで良かったと思う。

なお、顧問からはこんなに厳しくしなくてもいいんじゃない?と言われた。だが、参団要綱などの都合上緩めるのは簡単だが厳しくするのは難しいのでしょうがなかった。もし状況が好転してたら緩めるとし、顧問の了解は完了した。

 

そんなこんなで作られた基準に基づき活動が夏休みから再開。参団面接を経て夏休み作業に突入した。二学期前半も問題なく過ぎていたが、11月頃から情勢が悪化。いつどんな判断を迫られるかわからない緊張感の中作業を続けた。

 

そして12/16、恐れていた事が起きた。校長先生や教頭先生を含むお偉いさん会議で、生徒や文準顧問への意見聴取等が一切ない形で、文化祭への一般人の参加が見合わせられ食品系団体の撤退が決定した。後から諸事情聞けば、勘違いの連鎖でこの時にこうした判断になってしまった訳であったので別に誰も悪くはないのだが、委員長団への校長教頭らの説明会の場においてこれが、社会情勢などから広義の"文化祭"は認められないだろうという判断であり、生徒が予定している感染対策や具体的な研究結果を参照しているわけでもなかった。判断の内容としては妥当であったためそこの撤回を求めることは無かったが、これから重大判断に於いてテキトーな判断は絶対やめてほしい、生徒を無視しないでくれという委員長団の強い要請を校長が受け容れる形で幕を閉じた。

 

そして1/6、全学年classroom通達内容を文準の原案として教員会に提出。紆余曲折を経て教員会で様々な対応が決定し、その後の文準の緊急会議であの形での文化祭が最終決定された。最後の最後の判断する権利は文準で行えた、行わせてくれた教員会の判断に強く感謝したい。

 

 

さて、ここまで今年のエピソードを振り返ってきたが、波乱の連続であったなと改めて思う。

初めて参団と顔を合わせてから実に407日。

これほど長きに渡り参団Cを務め、参団と関わった者はいないだろう。

 

もちろん誇らしくはある。コロナ禍という未知なる敵に立ち向かい、最後はオンライン開催という不本意な形ではあるが、ここまで参団を率いて来た。そして、意外かも知れないが後悔や未練はあまりない。長かった149th文化祭が終わり、"やり切った"という感情がとても強い。

 

もう文準を去るものとして最後に、未来の文化祭を支えるみんなに言いたいのは、"やりたい"という感情を最後まで捨てないでいて欲しいということだ。

コロナ禍で次の文化祭が出来るかもわからない中で、出来ないかもしれないならと文化祭の道をやめてしまう人もいるかも知れない。はたまたコロナとは全く関係なく、役職に就きたいと思っていても、いろんな不運で就けないかも知れない。自分のタスクが多すぎて、文化祭を切ろうと思う場面があるかも知れない。ただ、最後の最後まで足掻いて欲しいと僕は思うのだ。結果が伴わなければ、最後までやり切らなければ意味がないから辞めてしまおうという理屈はわかるし、努力が無駄になった瞬間は物凄く儚く辛い。辞めてしまえば楽になるだろう。簡単だ。

だが、断言する。それは将来絶対後悔するだろう。

僕が、コロナ禍でこうなるリスクがありながら参団を鼓舞しここまで率いて来たこと、そこに全力で熱を注いだ事は確かに結果だけ見れば無駄だったかも知れない。ただ、ここまで頑張って来た過程は絶対に自分の糧になったと思うし、将来の開成祭のために少しは貢献できたと思う。ここまで頑張ったきてくれた参団も、最終的に企画を出すのを辞めてしまった団体もあるし、やった参団も相当に不本意な形であったとは思うが、未来の文化祭という意味においてすごく有意義であったと思う。ここまで僕ら文準の指示を聞き、ここまで頑張って来た彼らを凄く尊敬しているし、本当に感謝している。ありがとう。

 

これから先、色々な場面で判断を迫られる時があるだろう。"やる"という決断の先にはとても険しい道かも知れない。ただ、結論がどうであろうと、そこで最後まで足掻いて頑張った過程は絶対に自分にとって大切な経験なり宝物になるし、回り回って未来の後輩の為になると僕は確信している。

 

是非いろんな事に挑戦し、少ない開成生活を楽しんで欲しい。僕も最後の運動会、最後まで頑張ります!!