〜経済学部1年生による〜 よくわかる日銀為替介入

※高校倫政と経済学部1年科目を履修したくらいなので、理解が足りて無い部分があったらごめんなさい

 


 1. アメリカのインフレを抑えよう
2022年4月ごろより、史上稀に見る大幅な円安ドル高(1ドル買うのに必要な円が増える状態)が続いていました。

 


米国において異常なインフレ(≒物の値段上昇)が続いている中で、米国は今年3月に政策金利の利上げを発表しました。米国ドルの政策金利が上がるということは即ち、米国ドルを銀行に預けた場合に、預金残高が1年で増える割合が上がるということです。

政策金利を上げることで、企業等がお金を使うのではなく預ける方向に移行することで、物に対する需要を減らし、需要過多によるインフレを抑制することに繋がることを期待するものでした。

 

 

 

 2. 円安ドル高の大幅進行
さて、日本の政策金利は現在ほぼゼロに近い、つまり日本円でお金を持っていても、何年経ってもお金の額面はほぼ増えないわけです。逆に米国ドルの金利が上がったことで、米国ドルでお金を持っておけばその額面は銀行に預けているだけで簡単に増える。もちろんみんな貯金を米国ドルに変換したいと思いますよね?

 


円から米国ドルにお金を変える動きが大きくなったことで、米国ドルの世界における価値が上がります。逆に日本円でお金を持っておく意味が下がるため、日本円の価値は下がる。その結果として、価値が低い日本円で価値の高いドルを買うためには、たくさんの日本円が必要となるわけです。

 


アメリカのインフレが止まらず、この9月にアメリカは今年3月から数えて3回目の利上げを発表しました。先程の理由により、ドルの価値は上がり円の価値が下がる状態が続き、3月時点で1ドル=115円だったドル円相場は、本日昼に1ドル=145円まで上昇していました。

 

 

 

 3. 日本経済大打撃
この状態が日本経済にもたらしたのは、輸入品の大幅な値上がりです。もちろん海外の業者からしたら、ドルで見た時の同じ額面でものを売りたいわけですから、1ドルあたりの日本円の額が上がるほど物の額面は増えるわけです。

消費者目線でわかりやすいところで言えば、iPhone14の値段が13と比べてめちゃくちゃ上がってたり、ガソリン代の値上がりだったり、この前Appleが発表したApple Storeの値上げだったり。とにかく海外の会社が作ったものは軒並み値上がりしています。

 


企業も大ピンチです。日本の大企業で今生産拠点も材料も全て日本産なんて企業はほぼ存在しないわけで、それらのコストが軒並み値上がりしています。海外メーカーの物と比べたら生優しいものではあるかもですが、日本メーカーの商品も最近軒並み値上がりしてますよね。そういうことです。

 


さて、円安になって日本が儲かることって無いの?って思った人、いると思います。日本人でドルで資産を持ってた人はもちろん、外国人からしたら円にお金を変えれば額面が増えるわけです。いっぱい物を買ってもらえそう。また、日本で作った製品が海外で売れたことで得られる日本円での額面が増えます。ドルで同じ額で売っても日本円での額面が増えてるんですからウハウハです。

でも、ここで出てくるのが『産業の空洞化』と『コロナ禍』です。コロナ禍さえ無ければ、海外のお金持ちがこぞって日本でお金を使おうとするでしょう。同じ家電製品を買うにも日本で買ったほうが安くなるだろうし、海外旅行がしたいなら日本でするのはめちゃくちゃお得です。ただもちろん現在、海外からの観光客なんて日本に入って来ないわけで、それが無い。

産業の空洞化とは、日本の大企業が生産拠点やそこで働く従業員を海外に移転したことにより日本の雇用が喪失したことを指す言葉ですが、日本は長らくこれが続き、日本の大企業の生産拠点はその殆どが海外。つまり、海外に高値で売れるかもしれないが、その物を作るためのコストも高くなってる。ということで利益はあんまり増えていないと。逆に日本で売る商品はそこまで値上げできないわけですから、生産コストが上がってるだけかもしれません。

そういうことで、現在は円安の利益をめちゃくちゃ受けにくい環境であるわけです。

 

 

 

 4. 日本銀行(≒日本政府)による円ドル為替介入
そういうことで、日本が現在進行形で大ダメージを負っている大元たる円ドル為替に対し、日本銀行が今日為替介入を行いました。保有しているドルを円に変えることで、市場の流れと逆行させ、ドル円相場を元の値に戻す方向に動かしたということ。

これにより、1ドル=145円まで上昇していたドル円相場は、一気に1ドル=140円まで下落しました。

 


ただこの為替介入、行われることは無いのではないかというのが市場の予測でした。為替市場への介入は本来の市場経済に逆行する行為であるため、不景気を呼び込みます。またこの米ドル金利上昇によるドル高の動きは決して日本に限った話ではなく世界全体の動きであるため、世界第3位のGDPを誇る大先進国日本が為替介入を行うことで世界の中堅国家がこれに追付いする可能性が極めて高いからです。

 


『最後の日米協調介入』と言われた1998年以降、円買いドル売り介入は初めてのことです。ドル買い円売り介入は2011年に行われていますが、東日本大震災の中での異常な円高進行で日本経済への打撃が深刻化されることを恐れるものであったため、世界各国からは理解を示されました。

 


今回の為替介入に世界がどう反応するのか、為替介入後の円ドル相場はどう動いていくのか、注目していきましょう。

HR参団と僕(卒業文集掲載文)

迷ったんですが、せっかく書いたしまぁ公開するかということで公開することにしました。

昨日公開した卒業にあたっての記事とだいぶ被るところはありますがご容赦を。

老害じゃん、というコメントは受け付けておりません。そもそも同級生しか読むことを前提にしてない…

※個人情報保護の観点より内容を一部改変しています

 

 

 

この開成生活において、HR参団という存在ほど僕に影響を与えた存在はない。せっかくの機会であるから、僕にとってのHR参団という存在について書いていこうと思う。


そもそも、この学校に来るきっかけをくれたのもHR参団だった。

僕がHR参団と出会ったのは、小学5年生の時に来た143rd開成祭でのことである。この143rd文化祭は、僕が開成学園を目指すきっかけとなった文化祭である。小学校の友人に誘われて何も知らないまま来たこの文化祭は、僕にとって衝撃の連続だった。出し物全てがクオリティが高く、生徒皆が躍動し活気に溢れているこの学校の文化祭は僕にとって最高の場所であった。当時はあまり意識してなかったのであるが、そこで僕が1番楽しんで居たのが後から思うとHR参団なのである。参団グランプリHR参団部門1位金の匙と言えば分かる人も多いのではないだろうか。熱のこもった勧誘から始まり、清々しく分け隔てない接客をしているお兄さんたちは当時の僕にはとても眩しく見えたものだ。


自分で参団を創り上げ、接客し、人を楽しませることの楽しみを知ったのもHR参団だった。

中1としてのHR参団。僕は自ら立候補し、演説と選挙を経て1年1組の副責任者としてHR参団をした。昔から仕切るのは好きであったが得意とは言い難かったあの頃、もちろん上手く行かなかったことの方が多かった。クラスの人たちとは度々対立したし、そもそも作業に全然人が来なかったものだ。そんな時にいつも隣に居て一緒に作業してたのが、この後5年間文準を共にするynである。同じ鉄研部員だったこともあって仲が良く、同じく副責だった矢野に着いていく形で毎日一緒に作業をした。今でこそ誰もが認めるプロジェクトリーダーのプロだが、あの頃からそれは健在。憧れすら抱いていた。そうして彼と一緒に作業を積み重ね、文化祭当日を迎える。1組は145thで3つしかなかったお化け屋敷参団というのもあり、参団グランプリこそ取れなかったものの大盛況だった。作ったのも脅かしてるのも中1の僕らなのに、大人から子供までがみんな怖がって楽しんでくれた。自分たちが作ったものを楽しんでくれているその顔を見るのがこんなに嬉しいなんて思っても見ただろうか。僕はそのとき初めて、人を楽しませることの楽しさを知った。この時の経験は僕の今後の開成生活の原点になったと言っても過言ではない。


後輩との付き合い方を教えてくれたのもHR参団だった。

鉄研の先輩に、147th文化祭の文準委員長の方が居り、その先輩に、僕も委員長になりたい!と言ったところ勧められたのがHR参団担当であった。中3の時に委員長になりたくて入ったHR参団担当。その頃は先輩とばっか仲が良く、後輩とはそもそもあんまり関わってなかったし関わり方も知らなかった。HR参団担当になるにあたってどんな先輩になりたいかと考えた時に思い浮かべたのが、自分が中1の時にHR参団担当だった中3の先輩。先輩らしくどっしり構えてあれこれ指示を出していたHR参団担当責任者の方とは対照的に、彼は中1の僕らと同じ目線で雑談もし、一緒に作業をしながら色々なことを教えてくれた。親身に寄り添い、雑談の中での相談事にも快く乗ってくれる彼に僕は凄く憧れた。上の立場として接することで下級生に指導を聞いてもらうのではなく、下級生と同じ目線に立って仲良くなることで、相談もしてもらいやすくなり、指導も聞いてもられる、そんな先輩になろうと思ったのである。初めこそ世代間の格差もありなかなか仲良くなれなかったし、自分も手探りであったが、毎日HR参団担当として中1と接してるうちにだんだんと仲良くなり、徐々にではあるが自分の目指した自分になれている気がした。結果的に9月・前当日の担当であったM1-6のクラスの大半や、隣のM1-5,1-7の一部とも仲良くなって信頼関係を築くことが出来、当日も成功を納められたという意味で僕の目標はある程度達成出来たとおもう。それに加え後輩と接し指導する過程で、後輩指導そのものに対してしっかり向き合い、今どうこの後輩に指導をするべきか、注意するべきか放っておくべきかなどの、基本的な後輩指導の考え方も学んだように思う。


プロジェクト実現のやり方、進め方などを学んだのもHR参団だった。

高1でなったHR参団担当の責任者。自分にとってはじめての1つの組織の長であったし、また中1新高400人を取りまとめる長とあって、その責任は重大であった。前年度に行われたHR参団の改革を引き継ぎ拡大していくという基本方針の元、中1新高の先生との打ち合わせから始まり中1やHR参団担当下級生の教育まであらゆる業務を遂行した。もちろん全てが最初の構想通りに上手くいったわけではない。時に先生方との交渉がうまくいかずやりたいことができなかったり、自分の不手際で中1に迷惑をかけることもあった。ただそこで得られたのは、確かなプロジェクト推進のための技術であると思う。先生方と多く話すことによって、学校の責任者たる彼らが何を考え何を重視しているか、そしてどうすればこちらの交渉に応じてくれるかなどを考え実行した経験は、もちろんこれ以降の開成生活で大きく活きたし、必ずや今後の糧になるだろう。自分でプロジェクトを組み多くの人を動かして実行するということがいかに大変か。そしてその中で必死に頑張った経験は何にも変え難いものであるし、先輩から後輩まで皆を動かすという意味で参団Cや組責とも全然違う貴重な経験であった。

 

さて、ここまで自分とHR参団との思い出を書いてきたが、僕は、HR参団は最高の人づくりの場であると思う。

中1にとってHR参団とは1つの大きな試練である。大人の手を借りず、先輩は居ても基本的には自分達の力で1つの参団をクラスみんなで創り上げなければならない。多くの者にとって初めての経験であるだろう。時にケンカし、時に労い合いながら参団の成功に向かってクラス一丸となって努力する経験はその後の開成生活において大きな意味を持つ。開成生は中1の運動会をやって初めて開成生となるとはよく言われた話であるが、HR参団も同じような位置づけにあるように思う。HR参団担当として沢山の中1を見てきたが、6月にはまだ全然子供であった中1が9月には見違えるほどぐんと逞しく成長している姿はとても誇らしいものだ。

またHR参団担当にとっても凄く大きな成長の場であることは言うまでもないだろう。中2や中3のHR参団担当にとって中1はとても距離感が難しい存在である。中1の1クラス44人を目の前にして、どう振る舞い、彼らをどう教え導くか。運動会や部活、他組織とは違い中1のサポートと教育のためだけに組織されたHR参団担当だからこそ、手を抜くわけにはいかない。正攻法も正解もない中で、"教え育む"ことに真正面から向き合うHR参団担当は、まさに自分自身も大きく成長させてくれる場である。


僕はHR参団と出会い、HR参団を通じて本当に多くのものを学ぶことが出来た。HR参団がなかったら今の僕は絶対になかったと思う。心から感謝したい。

これから先、まだまだ沢山の人がHR参団に関わるだろう。彼らはHR参団を通じて何を思うだろうか。HR参団は彼らをどう成長させるだろうか。僕の6年間の開成生活の礎となったHR参団の今後のますますの発展を祈り、僕も筆を置こうと思う。

 


HR参団、そして開成学園

6年間本当にありがとうございました。

ペンと剣の名の下に

卒業式が終わった。

これで正真正銘、本当に卒業だ。

 

長いようで短い6年間だった。沢山の仲間と、沢山泣いて笑った。決して順風満帆であったわけでは無いが、それもある意味で僕らの宿命であり、僕らを成長させてくれる糧となったのだろうと思う。

 

軽くではあるが、僕の開成生活を振り返っていこうと思う。

 

全ての出会いは小5の時の文化祭だ。当時1番と言ってもいいほど仲が良かった小学校の友達(筑駒に進学)に開成の文化祭に誘われた。当時中学受験に何も興味がなく、また土日の少年野球の練習をサボるなんて考えられなかった僕は一度は断った。だが、当日になって奇跡的に雨が降り練習が全て中止になったのだ。せっかくだから、と言って親と一緒に開成の文化祭に行くことにした。

そこで見た景色は僕を一瞬で虜にした。活気に溢れ、生徒みんなが笑っていて、必死にお客さんのことを楽しませようと頑張るその姿は、まさに僕が夢見た理想郷そのものだった。

この学校に入りたい。この先輩方と一緒に暮らしたい。そう思い、中学受験を経て無事入学した。

 

入学してまず取り組んだのはHR参団の副責だった。理由はもちろん小5の文化祭の時の憧れからである。やってみるとそれは困難の連続であった。当時の同じクラスの奴らと馬が合わなかったというのもあるが、とにかく自分の指示や意見を聞いてもらえず、挫折を経験した。自分にはこうして仕切る才能がないのではないかと悩んだ日もあったし、文化祭と関係なくそもそも人間関係がこんなに上手く行かない中、この学校で上手くやれるのか不安に思った日もあった。

そんな時自分の支えとなったのが、先輩と、同じクラスだった僕らの文準委員長のynの存在だ。

運動会での高3の先輩。参団係のHR参団担当の先輩。鉄研や水泳部の先輩。どこをとっても、偉大で尊敬できる先輩方ばかりだった。楽しく雑談にのってくれる彼らのことが大好きだったし、毎日同級生よりも先輩と話したくて学校に行っていた節もあるのも否めない。とにかく、自分にとって先輩方は特別な存在だった。

ynは僕と同じくHR参団の副責だったが、あまり働かなかった正責に代わり企画構想から作業まで立派に参団を率いた。鉄研で一緒だったのもあって僕は彼にずっとべったりだった。彼だけのためにも頑張ろうと思ったし、彼を全力で助けたいと思った。

 

中2の1年間で自教室に居たのはどれほどだっただろうか。春から冬まで毎日のように昼休みには文準ルームなどに行って先輩に絡んでいた。部活終わりに高2の先輩について行って、高2の教室で行われていた麻雀大会に夜19時程まで居たなんて事も何日もあったし、授業時間を含めても同級生といるより先輩といる時間の方が長かったのでは無いだろうか。たまに先輩の教室にずっと居る下級生を見ると心配にも思うものだが、人のことなんて言えた方じゃ無いのだ。

ただ、その中でも中1の頃よりは同級生と仲良くやっていたのも間違いない。中1の頃同じクラスだった奴に頼まれ『Splatoon2同好会』という参団の正責をやったりもしたし(なお当方はSplatoonをやったことがない)、同級生にもそこそこ友達が出来た。かに、きっちー、sayと言った今も仲良くしているメンツと仲良くなったのもこの頃だろう。

 

鉄研の先輩で文準委員長を務めていた先輩に憧れ文準委員長になりたいと思っていた時に、その先輩にオススメされたのがHR参団担当だった。中2の頃から入っていたものの自参団であまり出来ず、中3で本格的にHR参団担当へと足を踏み入れる。それまで後輩というものにてんで興味の無かった自分だが、HR参団担当になるにあたり後輩とどのように接しようかと考えた時に辿り着いたのが、後輩と"仲良く"なるという現在のスタイルである。中1の時のHR参団担当の基本的な印象と言えば、何か上から目線で命令口調というのがあり僕はそれはあまり好きではなかった。だが自分のクラスの担当であり、自分が中3時に参団Cをやっていたその先輩だけは違ったのだ。あくまで中1と同じ目線に立ち、仲良くなりながら一緒に作業をする事でこちらとしても先輩に相談しやすい雰囲気が醸成される。これこそが自分の目指すべき先輩像だと確信した。

HR参団担当として主に5,6,7組、特に6組を重点的に見ていた中でそれは恐らく実行出来たのだろう。文化祭が終わる頃にはこれらの後輩たちと凄く仲良くなり、TwitterやLINEなども交換して積極的に話すようになった。HR参団担当責任者であったタコも僕と同じような考えを持ち、彼がHR参団担当をその時大いに改革したというのも相まってだろうが、HR参団担当下級生と中1がそこまで仲良くなるなんて事は少なくとも僕は聞いたことが無かったし、だいぶ異端的なことだっただろう(今では割とある?)。でもその後の次期総面接にて、本命であった委員長面接の面接官にも『お前はHR参団担当や参団Cの方が向いてるし、なれる力がある』と言ってもらえ、その後の参団係面接でHR参団担当に選んで頂けたあたり、やはりその考えは間違ってなかったと言っていいのだろう。

中3では親友と言える友達が増え、今も変わらぬ同級生の人間関係が構築できた1年でもある。鉄研の奴らと本格的に皆で仲良くなり、ynやかに、say、ももぞーと言った奴らと日常的に遊ぶようにもなった。毎週のようにどこか有名校の文化祭に行っては開成祭や鉄研の将来について語り合ったり、色んなところに遊びに行ったものだ。

yn、かにの2人とは3人で強固な輪が出来た。参団係出身で全員鉄研で仲が良かった3人。中3時のHR参団担当もこの3人で中心となって仕事し、委員長面接にも恨みっこなしでこの3人で出た。余談だが、高2の時に文化祭があそこまで出来たのも、互いの判断を完全に信用できるこの2人と一緒だったから最後まで頑張れたのだろうと思う。

 

高校生となり運動会が忙しくなっても、僕の頭は文化祭一色だった。もちろん運動会も運準組活共に人一倍やっていたし、旅行委員会でも1日丸ごと担当になることもあるくらい中枢でやっていたのも間違いないが、GWには灘の文化祭にyn、かにらと行き、運動会当日のテント待機時にも中1に説明用のパワポを作っている始末。だがあの必死に構想していた期間はとても充実したものだった。

待ちに待った中1,新高たちとの対面。目をキラキラさせた彼らを見てると疲れも飛んだし、とにかく彼らの参団をいいものにしないといけないと一層の励みになったのをよく覚えている。それにしても多くの中1とあの時仲良くなったものだ。今の中3学年にあたる彼らだが、顔と名前が一致していない人も含めれば学年の半分以上は顔見知りだろう。組活で中3Cに名簿を渡されて情報をくれと言われた時には100人程度には何かしらを書くことができた程。彼ら1人1人がどう思っているかはさておき、中3の時に決断した後輩と"仲良く"なる先輩像は大いに達成できたと言っていいだろう。もちろん出来なかったこともいっぱいあるし、諸事情あって今も元4組の一部の奴らには戦犯だの言われるが、これもまた自分の力不足。だが総じて見れば、ある程度上手く行ったHR参団担当だったのだろう。少なくとも自分は彼らとの日々が凄く楽しかったし、今も鮮明に残る記憶である。

 

高1も終わりに差し掛かり、運準旅行だ文準旅行だいってやる気を上げていた矢先、コロナで一斉休校となる。みんな直近の運動会のことを心配し、もちろん演準SCとしてそちらも気にかけて居たが、自分の目下の課題はやはり文化祭だった。顧問や参資総務の皆ともよく話し合い、対応に追われた。運動会の中止が発表された後などはまさに文化祭一色。寝ても覚めても毎日どうすれば文化祭が開催できるか考え、厚労省発表の資料などもよく読んでいた。史上初のオンライン参団説明会をやったのも記憶に新しい。

こうして振り返って考えてみれば、僕の開成生活は6年間ずっと文化祭を軸にして回っていたのだろう。

休校が開けて組活が始まり、僕は組責に立候補した。なんで組責に立候補したのか。運動会のことが好きだったから。誰よりも運動会を知っている自信があったから。自分のクラスで自分以外に適任は居ないと思ったから。全部正しいが、1番の理由は開成の先輩や後輩への感謝への恩返しだったと思う。偉大で自分の憧れだった先輩に貰ったもの、HR参団担当なんかで後輩を教えてる気になって、実は自分が後輩に貰っていたもの達を全部、文化祭より100倍開催が困難であろう運動会を組責としての力で何とか開催・成功させることで恩返しをしたい。そんな思いで組責に立候補し、無事クラスの信任を得ることが出来た。

順調だった文化祭は、11月に入って暗雲が立ち込める。実質的な感染リスクよりも社会的体裁を気にする学校の姿勢には度々反発したし、膨大な時間をかけて作った感染症対策はあとは参団が当日実行さえすれば完璧なはずだった。

最終的にオンライン文化祭となり思っていたものとは全然違ったものになってしまったし、自分も消化不良でしか無かった。だが、やることに意味はあったと思う。最初から完全オンラインに舵を切ることも出来たはずだ。だがその中でも実地開催に拘り続けたのは、意志を引き継ぐためという側面が強い。そして自分の代の文準は、ynかに僕の心が通じ合った3人に加え、目立った不和もなくみんな仕事がとにかく出来る文準総務たちだ。この代が歴代最強文準総務だと強く思うし、この代だからこそ文化祭も前々日まで開催の方向でやれたのだと僕は思う。もしかしたらこの代はそういう宿命を持って生まれた代だったのかもしれない。

 

運動会の対応に関しては今更書くこともない。文化祭と比べてあんな杜撰な対応でよく開催できたなとも思うが、全ては高三400人と運準が総力を結集した結果だろう。

また、我らが緑組は本当にいいクラスだった。8組の中で1番いいクラスなのは間違いないし、こんないい組は見たことがないとすら思うほどだった。本当にいい仲間に恵まれたと思う。実務の経験者がとにかく居ないという点には苦労したが、組内不和なんてものはどの引き継ぎを見るよりも少なく、みんなが向上心と親切心を持った本当にいい仲間達だった。当日2位という結果にも納得である。優勝したかったけどねw  組の後輩たちもいい子たちばっかだった。自分が指導した中1はもとより、他学年の様子を聞いていてもつい笑みが溢れてしまう程、どの学年もいい雰囲気で本当に良かったと思う。中1係の奴ら、中1の奴らもみんな本当に最高だった。みんなが自分の強みを活かし合い、最強の馬鉢が出来たと思う。馬鉢の騎乗偏重論に異を唱え、騎馬の力をフルに使って戦う戦術は、2回戦で騎乗が強い白組に負けてしまったし勝負という意味では強くないのかもしれないが、全員が活躍できる素晴らしい策だったと思う。これこそが馬鉢だと僕は思う。

受験勉強は…まぁ結果出たら書くよ。とにかくもうやりたくない。

 

長くなってしまったが、これが僕の6年間だ。

本当に仲間に恵まれ、機会に恵まれ、開成という場所に恵まれた6年間だった。

勉強なんて高3の運動会終わるまで一切せず、代わりに出来る範囲で生徒活動をやりまくった。キャパの範囲で、ではなく、やりたいことを全部するためのキャパを自分で手に入れる。強引だし自分にしか出来ないタフすぎる選択肢だが、これで良かったと思う。もう少し前から勉強していればもうちょっと楽だったかなと思うこともあるが、そうしたら多分ここまで多くの生徒活動の機会と先輩後輩との輪は出来なかっただろう。自分にはこれしか無かったし、これでこそやはり僕なのだ。最善の選択をしたと今本当に思う。

 

僕にとって開成は文字通り"母校"だ。

開成は僕に居場所をくれた。

開成は僕に生き方を教えてくれた。

開成は僕の帰る場所だった。

開成だからこそ、僕は僕になれた。

 

ペンと剣の名の下に歩んだ6年間を忘れることはないだろう。そしてこの6年間は北極星のように、自分が帰る場所、原点を教えてくれるだろう。

巣立ちの時。この先長い人生を、この6年間を足場にして生きていこう。

 

さようなら、開成

ありがとう、開成

文準に入ろう(緑組中1後パン掲載文)

どうもこんにちは瑞風です。運動会が終わって1ヶ月以上も経っちゃいましたね。運動会が終わったということはもちろん待っているのは後パンです。組と学年係によってまちまちですが、やるところは大凡もうみんなの手元にも届いたはず!?

 

さて、僕も色々書いたわけなんですが、

緑組中1後パン掲載 文準に入ろう

橙組中2後パン掲載 運準に入ろう

の2つは割とちゃんと書いたつもりですし、みんなの参考にもなるかなと思ったので、今回、こちらのブログの方にあげようと思います。どちらも入るとしたら来年だと思いますが、来年入る係の参考になれば嬉しいです。

 

現在のページは文準に入ろうの方です。運準に入ろうが読みたい人はブラウザバックしてください。

 

注意です。後パンに載せるということで中立性や情報の正確性に関しては極力気をつけたつもりですが、全ての係に入っていたわけではないので一部実際と違う可能性があります。もし違ったらごめんなさい。

 

では、以降後パン掲載文のコピペです。どうぞ!

 

文準に入ろう

1,初めに
どうも~瑞風です。突然ですが、僕は高2の時に開成学園特別賞という賞を受賞しました。その受賞理由は何だったでしょうか。
正解は149th文準参団Cとしてコロナウイルスに立ち向かった、という名義です。実は僕高2までは運動会より文化祭に主眼を置いていて、常に参団係、ひいては文準と共にありました。それこそ高1の時は今皆のHR参団を率いてる参団係HR参団担当のトップで今の中3学年を率いましたしね。
ということで、そんな僕が文準の各係の概要をわかりやすくまとめてみました!文準募集の紙に書いてあること書いてもしゃあないんでそれ以外のこと。これを見て皆さん文準に入りましょう!文準は総務とかになるとめちゃくちゃ忙しいですが、本当に楽しいしやりがいがありますよ。

補足であり注意点です。皆中1の時はマジでHR参団ちゃんとやりましょう。HR参団は全ての文化祭準備の基礎であって、これで学んだことは今後どの係どの組織に行っても使います。それこそ部活参団頑張りたい人だって、中1の時は部活で頑張るよりHR参団頑張った方が中2以降絶対活躍できますし、文準の係頑張りたい人も同じです。中1はとりあえずHR参団!これを守った上で、中2で文準はいる時にこれを思い出してみるとかそういう使い方をしてくれると幸いです。(もちろん中1から文準入ってもいいとは思うけどあくまでHR参団優先というのを忘れずに)

 

2、各係の紹介
係はパンフレット順になっています。変な意図はありません。

 

参団係
参加団体、略して参団の全てを統括管理している係です。全ての係の中で一番仕事量が多く、参団係と言えば文化祭のプロみたいな感じです。ただまぁ朱に染まれば赤くなるだけで最初からプロばっかな訳ではないので、プロになりたい人は入ってみたらいいと思います。下級生の主な仕事は夏休み・二学期作業の見回りと受付業務、HR参団担当に所属している人は中1と新高HR参団のサポートです。全ての係の中でも下級生と総務の距離が一番近いと言っても過言ではないので、縦の繋がりも強くなるし何より文化祭やってる感(?)があって楽しいですよ~

 

資材係
参団や文準などの文化祭で使ってる全ての資材を管理しています。資材というと玄翁(トンカチ)や鋸などの貸出資材と木材やテープなどの申請資材に分かれますが、資材係はどちらも管理する係です。参団係と常に動きを共にしているため、まとめて参資と呼ばれることが多いですね。資材係も参団係と同じく仕事量がトップレベルに多いです。下級生の主な仕事は夏休み・二学期作業の貸し出し受付業務、そして資材の在庫管理です。在庫管理のうちパネルチェックは総務ですら嫌いな人ばっかですが、逃げずにやりましょう。僕は逃げてました。

 

実演参団係
実演参団は小講堂や視聴覚室でリアルタイムで講演を行うような参団の形態の総称です。元は参団係でしたが、確か15年くらい前に独立した一番新しい係です。下級生の主な仕事は前当日の会場管理や機材整備などです。正直あまり仕事量が多い係ではないのですが、毎年ほんとに人がいません。高1高2の時に入ってたらほぼほぼ総務内定するくらいには人がいないです。だから仕事量は少ないのに凄い忙しそうにしてます。実演参団係に入ると実演参団の講演がちゃんと見れるので、実演系の参団をサポートしたうえで見たいと思ったらオススメです。

 

会場係
会場係は文化祭当日の会場整備を行っている係です。コロナ禍でさえなければ2日で4万人が来場する開成祭ですので、会場係の仕事は文化祭全体にとってとても重要です。下級生の主な仕事は当日の道案内やゴミ分別です。毎年人が無限に居ますが回ってないのは、ちゃんと受け答えが出来る人の圧倒的不足です。開成生お客さんとまともに話せないクソ陰キャかナンパ目的で会場係に入るようなクソ陽キャの二択なのでその中間層を会場係はとても求めています。コミュ力に自信がある人が会場係になってくれると僕が喜ぶのでオススメです。

 

電気係
電気係は文化祭当日の電気配線の管理を行っている係です。1教室当たり中学2000w、高校1500w(新校舎2000w)という限られた容量の中ですさまじい配線を行っています。1w単位で計算してるんですよ、凄くないですか?w下級生の主な仕事は前当日の配線管理と緊急時対応です。当日はブレーカーが落ちたときとかにすぐ対応できるように暇シフトがあるんですよね。なので、暇なときには自分なりに楽しめつつ仕事の時には絶対に配線を間違わない緻密さを持っている人が重宝されると勝手に思っています。そういうひとにはすごいオススメです。

 

模擬店係
文化祭に来たことがある人なら、"開成焼き"という名前には聞き覚えがあるのではないでしょうか。まぁ適当に言えばペン剣のついた大判焼きです。すごい美味しいんですよこれ。ただ生焼きのやつは当たり前ですがほんとにおいしくないんで、模擬店係に入った人は是非美味しく焼いてください。下級生の主な仕事は当日の開成焼きの調理とそれに向けた調理実習。料理が出来るととても重宝されると思いますが、全部マニュアル化されてるのでマニュアル通りに調理できるレベルの人であればいけるとおもいます。料理が好きな人にはオススメ。

 

演奏団体係
演奏団体というと管弦とかを思い浮かべる人が多そうですがこの係が管轄しているのは所謂バンド。文準の中ではとても異質で、係員は全てその年出るバンドの構成員。参団係も実演参団係も自分たちが参団を出すことはありませんが、ここだけ自治組織となっています。バンドの配線などに詳しい人や仲間うちで取りまとめるのが得意な人は重宝されるし楽しいと思いますが、入りたければまずはバンドを結成するところから始めましょう。

 

喫茶係
文化祭で食品を提供できる団体のうち模擬店の片割れです。買ってからは勝手に休憩所で食べる模擬店と違い席があるので、本当の喫茶店のように接客業も行います。下級生の主な仕事は調理と接客。接客業の方は言わずもがなですが客当たりが良い人がなった方がいいです。イケメンだったり可愛かったりすると客受けがいいのでなおよいでしょう(こんなこと今の時代に言ってるの夜道で後ろから刺されそう)。調理は模擬店よりもよっぽど多くのメニューがあるのでより料理が上手い人が重宝されるし、料理が好きな人にはオススメ。毎年たまに焦げたホットサンドが出てくるのでみんなはそんなことにならないようにね!

 

古本係
生徒やOBから寄付される古本をイイ感じで売るのが古本係です。下級生の主な仕事は当日の接客とそれまでの古本整理。当日の接客は正直そんなに難しくもないです、本の冊数数えてお金を間違いなく徴収するだけ。問題はそれまでの古本整理です。いつからか溢れかえってる古本を整理し保存状態良く保管しないといけません。この古本整理だけで夏休み4日くらい使って大人数でやってます。本に愛着がある人や整理が得意な人は楽しいと思うしオススメだけど、そうじゃないと気がめいっちゃう可能性はある。

 

広報係
文化祭の公式パンフレットや公式HPを管轄してるのが広報係。最近はオンライン文化祭も広報係の業務の一環に組み込まれました(149thではの話なのでみんながこれを見るころには変わってる可能性はある)。下級生の主な仕事はインデザ編集が出来る人であれば公式パンフレット、プログラミングが出来る人はHPプログラミングですが出来ない人は正直何をしてるのかよくわからない。パンフレットの校閲作業をしてるのは知ってるんですけど他聞かないのでもしかしたらインデザが出来なかったらもうお役御免の可能性は無きにしも非ず...ただなんにしろインデザが使えたりデザインに興味がある人であればこれ以上楽しいことはないはず。

 

縁日係
無料で楽しめる縁日を運営しているのが縁日係。毎年恒例だとヨーヨー釣りとか輪投げ、らくがきせんべいなんかやってますね~。この縁日のすごいところは、普通に夏祭りとかでやってるなら1回100円とかでもおかしくないのに全て無料という所。主に小学生や未就学児のちびっこで毎年大盛況ですね。下級生の主な仕事は当日の接客。参団作って準備まではしたくはないけど当日はちびっこと戯れたいという人にはオススメ。

 

講演会係
毎年恒例のすごい講演会を主催運営してるのが講演会係。最近だとジャパネットたかたの創設者の高田さんや小型ジェット機ホンダジェットを開発した藤野さんなど絶対にここでしか聞けない講演会を毎年開催しています。下級生の主な仕事は講演会時の会場整理とゲストの対応。そんなに大きな係ではないしあんまり多く人手がいてもしょうがない係ですが、開成のメンツをかけて全力で講演会成功のために動いています。準備段階からそんな関わりたくもないけど当日に責任感を持って仕事をしたい人にはオススメ。

 

参画係
一般のお客さんに開成を案内する開成ツアーや参団のスタンプラリーを企画運営しているのが参画係。特に開成ツアーは毎年すごい人気で、大変好評ですね。みんなの中にも客として参加したことがある人もいるのでは??下級生の主な仕事はもちろん開成ツアーの案内役です。僕もやったことあるのですが、親御さんから開成の中のことから本当に他愛もないことまで聞かれるので、そういうのが苦手な人には難しいかも。ただそこから未来の開成生が入ってくる可能性もあるわけですし、そういう意味では責任重大です。一般の人と開成について話したい人には是非オススメ。

 

装飾係
文化祭であちこちに張ってある装飾物などを管理装飾したり、当日の入場門を作成しているのが装飾係。ポスターを書くのはいいんですがそれを当日勝手に張ってくださいだと汚くなるし無法地帯になるので、そこをうまく綺麗にやってくれるのがこの装飾係。また入場アーチ門は毎年とても綺麗で見ごたえ抜群です。下級生の主な仕事はそのアーチ門の塗装や前日のポスター掲示。装飾物をきれいにつけるのが楽しいよって人にはオススメです。

 

中後夜祭係
文準の係で唯一高校生しか入れないのが中後夜祭係。中夜祭・後夜祭の運営をしています。中後夜祭のいいところはやっぱりみんなで一丸となって盛り上がるというところ。盛り上げ上手な人にはオススメだし是非なってほしい!


いかがでしたか?
何度も言いますが、中1のうちはHR参団を頑張った上で、中2以降に入るのが文準です。中1から二個も三個も係に入ってる人がときどきいるけど無理だから、、、。三年間参団係のHR参団担当をやりましたが、やっぱりHR参団は他のどんな学年のどんな行事よりも大事だし大きな経験値になります。色々上手く行かないこともあるかもしれないけど、悔いのないように頑張って!
それでは、良き文化祭ライフを

運準に入ろう(橙組中2後パン寄稿文)

どうもこんにちは瑞風です。運動会が終わって1ヶ月以上も経っちゃいましたね。運動会が終わったということはもちろん待っているのは後パンです。組と学年係によってまちまちですが、やるところは大凡もうみんなの手元にも届いたはず!?

 

さて、僕も色々書いたわけなんですが、

緑組中1後パン掲載 文準に入ろう

橙組中2後パン掲載 運準に入ろう

の2つは割とちゃんと書いたつもりですし、みんなの参考にもなるかなと思ったので、今回、こちらのブログの方にあげようと思います。どちらも入るとしたら来年だと思いますが、来年入る係の参考になれば嬉しいです。

 

現在のページは運準に入ろうの方です。文準に入ろうが読みたい人はブラウザバックしてください。

 

注意です。後パンに載せるということで中立性や情報の正確性に関しては極力気をつけたつもりですが、全ての係に入っていたわけではないので一部実際と違う可能性があります。もし違ったらごめんなさい。

 

では、以降後パン掲載文のコピペです。どうぞ!

 

 

1、はじめに

緑組の組責任者を務めてました。瑞風です。なんでこれを書いてるのかは自分もよくわからないんですが、中2Cさんから依頼があったので暇だし書いてます。

僕は中2のころからずっと運準演技準備係に入っていて、高2ではSCでした。今年は中2は運準には入らない方針(まぁそれ決めたうちの1人僕ではあるんだけど)でとりあえず競技者として楽しんでもらったのですが、来年以降は運準にも入ることが出来ます!!運準は競技者とはまた全然違った視点で運動会を楽しめてとても面白いですよ〜これを読んで1人でも多くの人が運準に入りたいと思ってくれれば嬉しいです。

それでは前置きが長くなりましたが、運準の名簿順にひとつずつ行ってみましょう♪

 


 2、各係の紹介

注:あくまで僕がこう認識してるというだけで実情が違う可能性がワンチャンあります。もしそうだったらごめんなさい。


会場係

"内勤三役"という当日の競技の担当の3係のうちの1つで、主にフィールド作成を担当しています。棒倒しの円やリレーのレーン、スタートラインなどのラインを引いたり、各種テントを立てたりするのも会場係の仕事です。また今年はミーテを全て各学年の教室でやったので無かったですが、中1中2を17時完全下校させるために毎日はよ帰れと下級生をドヤすのもなぜか会場係の仕事になっています。僕はこの下級生追い出しをやりたくて中3〜高2まで会場係に入ってました()。当日の集合が一番早い係でもあるので、運動会の隅から隅まで見たい人にはオススメです。

 


衛生係

会場係と同じく"内勤三役"の1つで、競技の安全管理を担当しています。当日や実対の時の怪我チェックなどに加え、日々の練習での見回りや保健室対応などさまざまな面で僕たちが怪我を怖がらず全力でプレーできるように保安を行っています。運準の係を1つにしろと言われたら残るのは確実に衛生係でしょう。それくらい重要な係です。組も何度衛生係に助けられたことか…

みんなの練習中も仕事があるという意味で一番忙しい係ではありますが、運動会を裏から支えたいという強い気持ちのある人は是非入ってみてください。

 


演技準備係

上2つと同じく"内勤三役"の1つで、競技に使う物の作成・管理を担当しています。僕がSCをやってた係ですね。みんなが使ったであろう綱もあれ演準が既製品をうまく改造して作ってますし、俵や棒に関しては全て1から作ってます。多分信じられないですよね。僕も演準に入るまでは俵や棒が手作りされてるなんて思いませんでした。練習時間中は作業しないため練習には出れますが、その分終わった後毎日19時まで作業があったり春休みやGWも毎日作業があります。まぁ参加義務が無いんで行きたい時に行けばいいんですが。ただ運動会にかける時間は間違いなく演準の人が一番だし、演準をやって俵や棒の特性を知ってると競技者としても活躍できたりします。運動会が好きで運動会に時間を費やしたいという人にはうってつけの係です。

 


召集係

競技に直接は関係しないため内勤三役には入りませんが、競技に必要不可欠であることを鑑みて"内勤四役"と包められることもある召集係。運動会当日の時間管理であったり競技者誘導を担当しています。競技者を集めて門まで誘導するあの人たちが召集係です。実は召集係が組んでるタイムスケジュールは5秒単位で組まれてて、まぁ実際はうまくいかないんですが理論上は絶対実現可能なプランが組まれています。そのプラン通りに頑張って誘導するのが召集下級生です。運動会当日のタイムキーパーとして自分で運動会を動かしたい人はぜひ入ってみて下さい

 


得点係

今年の白桟敷と青桟敷の間に各組の得点が書かれた得点板ありましたよね。あの得点板を動かしているのが得点係です。全ての競技の結果を記録し1競技ずつ各組の得点を付けています。あまり注目される係ではありませんが、得点を競ってる運動会において欠かせない存在です。得点櫓の上からフィールドを俯瞰できるのがとても気持ちいいのでそれをしたい人とかにはオススメですが、最終的な総合結果を誰よりも先に知ることになるので、閉会式の順位発表を楽しみたい人はちょっと注意が必要。仕事がそんなに多い係ではないので、得点という観点から運動会を楽しみたい人は入ってみてください。

 


報道係

運動会公式SNS公式PL公式HPなど広報を担当しているのが報道係です。公式Twitterにエモい写真が上がってたのは報道係のお陰で、写真を撮るのが好きな人は楽しいと思います。またお客さんが来る場合にそのお客様対応をする2つの係を"外勤二役"と読んでおり、この報道係もその1つです。お客さんがいれば毎年入り口でパンフレットを手渡ししてますし、忘れ物対応や客の治安維持も行なっています。ちょっと文準会場係にも似てますよね。あんな感じです。広報活動やお客様対応をしたい人は是非入ってみてください。

 


放送係

当日や実対などで結果を放送していたりするあの係が放送係です。結果や逆判理由の読み上げを行うとても重要な役であるため、原稿をミスなく読む滑舌の良さなどが求められます。また配信したPVを管轄しているのもこの係。カメラの設置や実況などが下級生の仕事としても割り振られてました。もともと文化祭PV案はあって放送係が担っていたものがコロナ禍で本格的に進み始めた感じですね。今後のデジタル社会でPVの活用はあって然るべきですが、その場合も担当は放送係になるでしょう。アナウンスをしたい人はもちろん、コロナ禍やその後のデジタル社会の新しい運動会観戦スタイルを開拓したい人は是非入ってみてください。

 


資材係

資材係というと文準の資材係を思い浮かべる人が多いと思いますが、運準資材係は別に工具の貸し出しをする係ではありません(総務になればやりますが下級生は十中八九しない)。資材係の仕事はエール賞アーチ賞の集計と、報道係と同じ"外勤二役"としてのお客様対応です。そう、この係全ての賞の担当なんですよね、だからエールアーチ賞もですが表彰状や記念品の管理もしています。外勤は報道が2グラが担当で資材が校舎担当って聞いたことあるけど真偽は不明。まぁそんなに違いはないよ、多分。こんな感じで仕事が煩雑な資材係ですが、当日しか仕事がない係の中では相当忙しい部類なので当日ちゃんと仕事したい人にはオススメです。

 

 

 

 3、総括

いかがでしたか?入りたい係は見つかったでしょうか。8係もあって何が何だかよくわからないですが、多分どの係も楽しいです。適当に分類するなら、

春休みに仕事:演準、得点

練習で仕事:会場、衛生

実対で仕事:会場、衛生、演準、召集

練習後に仕事:会場、衛生、演準

当日に仕事:全係

って感じです。特に人不足なのは?ってみんなに聞かれるんですけど全部です。競技・審判などと人を分け合っちゃうんで運準に入る人自体が文準に比べて少ないので、どこの係に行っても有難られると思います。

運動会の楽しみ方は人それぞれですが、運準という選択肢もあるんだよーってこと知っておいてくれると嬉しいです。

ではこの辺で、あと4回の運動会全力で楽しんでね!!

 


文責:緑組組責・元演準SC 瑞風@auspicious_wind

76th緑組エールの歌詞解説

運動会が終わり一夜が開けました。

いろいろ語りたいことや思いはあるのですが、その前に今回の緑組エールの歌詞の解説をしたいと思います。

あんまり言ってませんでしたが僕が作詞者です。もう1人の作詞者であるエールCとも相談しながらではありましたが、基本的に上パートの歌詞は僕作詞です。

エール賞は取れませんでしたが、個人的には作曲のワカバやもう1人の作詞者と共に最高傑作が作れたなと思っています。圧倒的エール賞だと今でも思ってる。

 

まずは注意です。歌詞は"詞"であり全てを書くことが出来ない以上、すごく抽象的な表現が多く使われます。この緑組エールなんて抽象表現と比喩の多用甚だしいので、色々な解釈があって当然だしだからこそ歌詞というものは評価されるのだと思います。それも踏まえて、あくまで作詞者としてはこんなことを思いながら書いたよというくらいに思ってください。

 

 

 

では早速。まずは歌詞の全文から。

 

希望の光を浴びて 暗く長い夜は明ける

僕らの目指した道で 今大きな花を咲かせよ

 

前だけを見つめ 歩み続けてた

"夢" "理想"描き 追い続けていた

陽が沈み大地を黒く染め 道が霞もうとも

背中押してくれた仲間と 前進むんだ

 

走り出せ 行く手何が阻んでも

飛び出そう翼広げ 空高く

広がる暗闇を照らす

星の明かりを信じ行くよ

 

さぁ突き進め 今こそ夜明けの時だ

夢に向かって進むんだ 光はすぐそこだろう

行こう

 

陽は登り若葉萌出る大地に

この歌を共に歌おう 声高く

この時代に生きた

僕らの"緑"を 今創り出そう

 

目指す場所は1つ さぁ行け

頂目指して

 

 

はい。いかがだったでしょうか。

まぁ如何にもエールって感じですね。

これを見てあなたは何を考えたでしょう?そもそもそんな深い意味なんてあるのかよ、そう思った方が大多数だと思います。ところがどっこい。ちゃんと意味は込められています。その意味を知れば何倍もこの曲がよく聞こえること間違いなし!?(意味を理解したうえで上のセリフを言っていらっしゃる方が居たらそれは本当に申し訳ないです僕の作詞力が足りませんでした)

 

 

キーになるのは、大サビの『この時代』という歌詞。この時代?どの時代?

 

 

正解は2021年、150thという時代です。

もっといえばコロナウイルスという時代。

コロナウイルスという時代に生きた僕らの、僕らだけの緑組を創り出そう、というのがおおよそ大サビの歌詞の意味となっています。

そしてこのエール全体が、コロナウイルス禍という今の緑組に捧げるエールであるという前置きの元で、一旦上の歌詞を戻ってみてみてください。

 

 

そう考えて歌詞を見直すと、他の歌詞の意味も見えてきませんか?

Bメロの一番最初『陽が沈み大地を黒く染め』は149th運動会の中止を指しています。逆に大サビの一番最初『陽は登り若葉萌出る大地に』は150th運動会の開催により一回潰えた開成の運動会の伝統だったり土壌だったりが一回潰えてしまったことを指しています。

他の歌詞は…言わなくてもわかりますよね!これ以降は各々の解釈に任せようと思います。

 

ちなみに僕もリツイートしたワカバのツイートに書いてある通り、Cメロの歌詞とメロディは75th緑組エールと全く同じものを使っています。最初メロディだけ入れよう歌詞はまぁこっちのオリジナルを当てがえばみたいな感じだったのですが、いい感じに今の辻褄も合うしそのままの歌詞で行きたいと僕がゴリ押ししてこの形になりました。ちょっとだけCメロに違和感があるかもしれませんがそういうことなので許してください。

 

曲先行で作成され、曲が完全に出来上がったタイミングでこの役を拝命しましたが、最初どのような歌詞にしようか正直結構迷いました。ストーリー性の比喩を用いるのか率直に応援する歌にするのかなど色々考えました。

ですが、せっかく今年のエールなんだから今年の緑組に捧げる歌にしたいと思い、まずサビの後半が確定。それを跨ぎながら自分が伝えたいコロナとの闘いに勝利した様子を描きたいと思った時に、それを太陽に例えるのを思いつきこんな感じになりました。

 

 

 

いやーエール賞取りたかった。ただまぁわかってたことではありますが、そんな深い歌詞を書いたところであの当日短時間でわかる人なんて居ませんよね。だって指導してた中1ですらわかった人全然いなかったもん。

 

エールにはエール以上の価値があると僕は思っています。エールを歌う回数はそれこそ少ないし、それで当日勇気づけられる人がいくらいるかなんてたかが知れてるわけです。

でも毎年凄い時間をかけてエールを作る。

僕はエールを作る側になってみてようやくその価値がわかりました。エールはそれを歌う中1中2や援団たちがその曲を自分たちが歌うことによって自分たちが勇気づけられ、一致団結するためにあるものであると僕は思います。

ある時援団の人たちから、中1のエールを歌う声が小さいんだよね…と言われ、中1係としてどうしようかと思いました。ルーテで歌詞を書かせても確かに正答率は低い、こんなんで大きな声で歌えるわけないなと。

そこで考えて行ったのが、中1に対しての歌詞の解説です。上で行った解説をもうちょっと具体的にして説明をしたところそこそこ反響が大きく、その次の応援練習が終わった後に副団から見違えるほど大きく歌えるようになったと言われた時にはもうそれはそれは嬉しかった。

でも結局歌を歌って応援するってそういうことだと思います。歌う側がその歌を本当に好きになった上で、このいい歌を他のみんなに共有したい!って思うから大声で歌って応援するわけですよね。僕はそれがエールであると思います。

 

 

 

この記事をみてこのエールが聴きたくなったよという人は下のリンクからどうぞ

https://drive.google.com/file/d/19ybNFhkAIjAIp_ADSg6Wh54W5DWIwiE2/view?usp=drivesdk

 

 

ではでは、長文お気持ちブログも頑張って書いてるので、書き終わったらみんな読んでくださいね〜

以上!エールの歌詞解説でした!

文化祭が終わり

149th文化祭そして僕の文化祭生活が終了した。

 

今年は最初から最後まで、コロナ禍との戦いだった。先行・第一次参説は終えた段階での突然の休校突入。運動会が生徒に何の連絡も無く中止判断になった憤りも相まり、"如何にして開催するか"という事を全ての軸にして活動してきた1年間だった。

というのも、このコロナ禍において "やらない" という選択肢を取るのは簡単な話である。また感染対策を無視してテキトーに開催するのもまた簡単な話だ。ただ、どちらにしても今や後世の後輩から見てどう思うだろうか。また彼らに対し俺らはやったぞと胸を張って言えるだろうか。未来のことを考えたときにどんな形であれリアル開催をしなければならない。ただそれと同じくらい、絶対感染者を文化祭で出してはならない、と決意した。なんなら日本で初のリアル文化祭を行い、全国の中高の希望の星になることが、仮にも日本一の中高の肩書きがあり日本一の来場者数を誇る開成祭の使命であると思ったのである。自信過剰かもしれないが、それくらいの決意で無いとここまで走ってこれなかったと思う。

 

6月7月は、続々と発表される各業種へのガイドラインや研究結果との睨めっこであった。どこまで厳格な体制を敷けば文化祭が社会的に認めてもらえるか、また感染者を絶対に出さないことが可能であるか。また逆に、参団の企画が目一杯行えるようにするためにどこまで緩和できるか。どちらに傾きすぎてもいけないので、とにかく読み漁った。

そして出た結論が、参団に課した感染対策5箇条

・人と人との距離を1.5m離す

・30分に一回10分以上の換気を行う

・空気の通りが悪い場所を作らない(サーキュレーターを多用)

・部屋の中の物に触れさせないor消毒を徹底

・1部屋あたりの参団員は8人以下

である。これは一般のガイドラインと比べたらめちゃくちゃ厳しい。例えば飲食店であっても距離は1mあれば問題ないとされているし、換気も60分に一回5分程度が一般的だ。これなら出来る限り感染を抑えられる自信があったし、何よりこれだけやってるんだというアピールにもなる。ただ、これでは成立しない企画もそれなりに多いこともあったので、逃げ道を作った。追加の感染対策を行う事により感染リスクが増えなければOKというルールだ。これに関しては厳格に行うべきと言う指摘もあった。ただ、これだけ業種別にガイドラインが区切られている中、これだけ多種多様な参団を1つの規定で全ての企画を統制するのは無理があると思ったし、それぞれに対して作るのもそれはそれで馬鹿らしいのでこれで良かったと思う。

なお、顧問からはこんなに厳しくしなくてもいいんじゃない?と言われた。だが、参団要綱などの都合上緩めるのは簡単だが厳しくするのは難しいのでしょうがなかった。もし状況が好転してたら緩めるとし、顧問の了解は完了した。

 

そんなこんなで作られた基準に基づき活動が夏休みから再開。参団面接を経て夏休み作業に突入した。二学期前半も問題なく過ぎていたが、11月頃から情勢が悪化。いつどんな判断を迫られるかわからない緊張感の中作業を続けた。

 

そして12/16、恐れていた事が起きた。校長先生や教頭先生を含むお偉いさん会議で、生徒や文準顧問への意見聴取等が一切ない形で、文化祭への一般人の参加が見合わせられ食品系団体の撤退が決定した。後から諸事情聞けば、勘違いの連鎖でこの時にこうした判断になってしまった訳であったので別に誰も悪くはないのだが、委員長団への校長教頭らの説明会の場においてこれが、社会情勢などから広義の"文化祭"は認められないだろうという判断であり、生徒が予定している感染対策や具体的な研究結果を参照しているわけでもなかった。判断の内容としては妥当であったためそこの撤回を求めることは無かったが、これから重大判断に於いてテキトーな判断は絶対やめてほしい、生徒を無視しないでくれという委員長団の強い要請を校長が受け容れる形で幕を閉じた。

 

そして1/6、全学年classroom通達内容を文準の原案として教員会に提出。紆余曲折を経て教員会で様々な対応が決定し、その後の文準の緊急会議であの形での文化祭が最終決定された。最後の最後の判断する権利は文準で行えた、行わせてくれた教員会の判断に強く感謝したい。

 

 

さて、ここまで今年のエピソードを振り返ってきたが、波乱の連続であったなと改めて思う。

初めて参団と顔を合わせてから実に407日。

これほど長きに渡り参団Cを務め、参団と関わった者はいないだろう。

 

もちろん誇らしくはある。コロナ禍という未知なる敵に立ち向かい、最後はオンライン開催という不本意な形ではあるが、ここまで参団を率いて来た。そして、意外かも知れないが後悔や未練はあまりない。長かった149th文化祭が終わり、"やり切った"という感情がとても強い。

 

もう文準を去るものとして最後に、未来の文化祭を支えるみんなに言いたいのは、"やりたい"という感情を最後まで捨てないでいて欲しいということだ。

コロナ禍で次の文化祭が出来るかもわからない中で、出来ないかもしれないならと文化祭の道をやめてしまう人もいるかも知れない。はたまたコロナとは全く関係なく、役職に就きたいと思っていても、いろんな不運で就けないかも知れない。自分のタスクが多すぎて、文化祭を切ろうと思う場面があるかも知れない。ただ、最後の最後まで足掻いて欲しいと僕は思うのだ。結果が伴わなければ、最後までやり切らなければ意味がないから辞めてしまおうという理屈はわかるし、努力が無駄になった瞬間は物凄く儚く辛い。辞めてしまえば楽になるだろう。簡単だ。

だが、断言する。それは将来絶対後悔するだろう。

僕が、コロナ禍でこうなるリスクがありながら参団を鼓舞しここまで率いて来たこと、そこに全力で熱を注いだ事は確かに結果だけ見れば無駄だったかも知れない。ただ、ここまで頑張って来た過程は絶対に自分の糧になったと思うし、将来の開成祭のために少しは貢献できたと思う。ここまで頑張ったきてくれた参団も、最終的に企画を出すのを辞めてしまった団体もあるし、やった参団も相当に不本意な形であったとは思うが、未来の文化祭という意味においてすごく有意義であったと思う。ここまで僕ら文準の指示を聞き、ここまで頑張って来た彼らを凄く尊敬しているし、本当に感謝している。ありがとう。

 

これから先、色々な場面で判断を迫られる時があるだろう。"やる"という決断の先にはとても険しい道かも知れない。ただ、結論がどうであろうと、そこで最後まで足掻いて頑張った過程は絶対に自分にとって大切な経験なり宝物になるし、回り回って未来の後輩の為になると僕は確信している。

 

是非いろんな事に挑戦し、少ない開成生活を楽しんで欲しい。僕も最後の運動会、最後まで頑張ります!!